ああ待ってください、題名だけ見てページを閉じるものではありませんよ。そんなに恐ろしいものでもありませんから、どうぞそのままお読みになってください。
魔法仕掛けの国と呼ばれる大国アトラシオン。ここでは亡くなった方を水、つまり大海の
流れによって埋葬する習わしがあります。アトラシオンには水の術師が多いですからね、その影響もあるのでしょう。
そして、その亡骸と思いや花束が添えられた数々の棺を幻造世界へ送り出すのがアトラシオンの北にある「死望港」という訳なのです。私のようなしがない旅行者が向かうにはかなりの時間を費やします。何せ、死望港が存在する北のラトラジオーネ領へと向かうには、一度アトラシオンの王都であるジオフェノーを経由しなければなりませんからね。
「北へ向かう切符はありますか」
「ラトラジオーネ領ですか? それならシェルミ行きのものを買ってそこに着いてから、目的地への切符を追加で買うといいでしょう……ちなみに、どこへ?」
糊のしっかり効いた、皺一つない制服を着こなす切符売場の職員が声を潜めるのに合わせて、私もボリュームを落とします。
「死望港です」
「あなたのようなお若い方が? ご家族の棺に寄せる花を忘れてしまったのですか?」
「まあ、そんなところです」
お若くはないですし身内は誰も死んではいないのですが、適当に話を合わせておきましょうか。
恐らく不幸な事故を想像したのでしょう。彼は神妙な面持ちで相槌をうってくれています。
「それなら花はジオフェノーで買ってから行くのをお勧めしますよ」
「ありがとうございます、そうしますね。ああところで」
「なんでしょう」
職員は首を傾げます。だから私はこう続けたのです。
「列車の中で食べられる絶品料理はありますか?」
十を超えて幾つかのホームが整然と並ぶ、そのうち一つ。ここが私を目的地である死望港へ——正確には経由地であるシェルミまで——連れて行ってくれる列車の停まるホームです。
丁度、夥しい量の黒煙と轟音を立てて列車が到着しました。一日の本数が少ないからって、他の路線より旧い車両を使っているのがバレますよ。素人の私から見てもこうなのですから。そしてここが風上で良かったです。長旅が始まる前から煤けたくはありませんからね。
晩秋の建国祭がすっかり終わり、祝祭の空気が引いたアトラシオンの首都、さらにそこから寒冷なラトラジオーネ領に向かう列車となれば、ボックス席丸ごと一つ……どころか車両丸ごと一両が私の貸し切りのようなものです。
まずは窓際の座席に座り、車窓から流れる景色を文字通り背景にしながら、私は水筒の蓋を開けました。細い湯気の立つ中身は、事前に用意した何の変哲もないお湯です。そこにポイと先程売店で買った老舗メーカーのティーバッグを投げ入れます。長旅の知恵というものですよ、こういったものは。それにしても今回の食事と相性が良いので、この銘柄が売り切れていなくて良かったです。鼻歌でも歌いたい気分ですが、ええもちろん、この車両には誰もいないのですが、一応抑えておくとしましょうか。
さて、外で朝のニワトリくらいの勢いで鳴る発車ベルを合図に、本命の包みを開けます。そう、売店で二十分ほども並んで手にした今日の昼食です。わりあい急いで列車に乗り込んだお陰で、包みはまだ温かいまま。これは期待ができますね。分厚く巻かれた油紙を一枚一枚剥がしていくと、生地に折り込まれたバターとソースのやや濃厚な匂いが辺りに広がります。
ジオフェノー駅グルメのトップ常連である「チキンのパイ包み焼き」をついに味わうことができます!
まずは一呼吸置いて完成した即席の紅茶を少しだけ。あっさりとした味わいがこの後の料理を楽しませてくれるでしょう。即席ですが流石は老舗、もちろん茶葉からしっかり淹れた方が美味しいのは百も承知ですが、こういった飲み方も捨てたものではありません。
いよいよです、このために旅をしているといっても過言ではありません! 早速頂くとしましょう!
何層にも折り込まれたパイ生地は、ソースの風味を吸い込みながらもさっくりとした食感を残したままです。そしてチキンはジューシーで柔らかく、ハーブが擦り込まれて料理全体が重くなり過ぎないように調整されています。シェフの腕が光りますね。そしてソースは照りがあり、濃厚さの中にオレンジの爽やかさが調和しています。なんて素晴らしいメニューでしょうか! 帰りも絶対に並びます。
「え、この列車を逃すと夜まで次は来ないのですか?」
「はあ、そうです。むしろラッキーですよ、今ここに乗れる列車があるんですから」
これは私がラトラジオーネ領の乗り換え駅、シェルミで受けた洗礼です。列車の本数がありません。とにかくありません。夕飯にアタリを付ける私の計画は水泡に帰しました。ですので、渋々乗り継ぎの切符を買って列車に乗り込みます。ちなみにこの車両も不満ほどあり得ない量の黒煙を吐き出し続けていました。
「お腹が減りましたねえ…………」
ちょっと、笑いごとではありませんよ。あれから何時間経ったと思っているんですか。五時間ですよ五時間。こんなことになるなら先程の車内販売で何か買っておくべきでした。もう全然楽しくないです。外は暗いですし、雪降ってきましたし。車窓の外は白い地面と黒々とした針葉樹の集まりばかりで、変わり映えなんてあったものではないのですから、ものの数分で飽きました。
どうしてそんな思いをすることが分かっていながら死望港に向かうことを決めたのか? それはあなた、興味本位というやつです。ああ誤解しないでくださいよ、別に遊び半分で向かっている訳ではないのですから。行ったことがなかったから、興味が湧いた。それだけのことなのですよ。
さて、ラトラジオーネ領の中央やや北まで到着しました。寝台列車ではないので車両を降ります。というか無理ですこの轟音と振動の中で寝るのは。
吐き出す息は既に白いものに変わっています。寒いですねえ。おや、私たちヤルトーノイ人とて同じ人ですよ。寒いものは寒いし、美味しいものは美味しいです。と、いうことで、中間地点のこの駅で遅い夕飯を探しましょう。
「ごめんください」
扉の脇にランプの灯るレストラン。外観は惜しげもなく木材を使用した温かみのある建物です。中はストーブで温められ、ところどころテーブル席が他のお客で埋まっています。人口の少ないラトラジオーネ領でこれなら、メニューに期待を持てるのでは?
「いらっしゃい、一人? カウンターでもいい?」
「ええ、構いませんよ」
店員とのやり取りを済ませてから、通されたカウンター席に座ります。カウンターも椅子も、丁寧に加工された木材で統一されていて、なかなか良いではないですか。メニューと一緒に渡されたのも水ではなく温かいコーヒーです。細やかな気配りが長旅の身に染みますね。
さて、本題のメニューです。何度も開かれてところどころが剥がれた冊子は、店の歴史そのものでしょう。今日は何を食べましょうかね。
「お待たせ、デザートは後でいいね?」
「ええ、ありがとうございます」
ブラウンソースの匂いが期待を持たせてきますね。私が注文したのはこの店一番人気の肉の煮込み料理です。誰ですかミーハーとか思った方は。別にいいでしょう人気メニューに興味を持ったって。あんまりでしたら味教えてあげませんからね。まあ頂くとしましょうか。
煮込まれた肉には技術が光ります。ナイフを通せばホロホロと崩れ、とても柔らかそうです。添えられたじゃがいもやにんじんも形を残しながらも柔らかそうです。そしてお皿に乗った赤いジャム。知っていますよ、私はこの手のものには詳しいですからね。コケモモでしょう。ブラウンソースのコクとコケモモの酸味を合わせて頂く、ええバッチリです。もうお店の狙い通りの味です。合間に飲むコーヒーは程よい苦味が良い仕事をしています。
そういえば、カウンター奥にサイフォンがありますね。正直、地方都市より人の少ない駅でしたから空腹を満たせたらいい、くらいに思っていましたがとんでもない。このお店を目的に再訪を考えたいくらいです。
あ、デザートですか? 私としてはお話ししたくて仕方がないのですが、今回は内緒です。ほら、あなたも行きたくなったでしょう?
まあその再訪は翌朝に決まっているのですが。今日もカウンター席に腰掛けてメニューを開きます。モーニングというやつですね。コーヒーを一杯、味わいながら軽食——この辺りでは火を使わない軽い料理が主流なので分かりやすいよう表記を変えています。そう、朝食ではなく軽食——を待っていると、小窓から遅い日光が差し込んできました。いい朝ですねえ、コーヒーがないと寒いですが。
そうしているうちに今日の軽食が私のもとへ提供されました。ラトラジオーネ領ではお馴染みの料理だそうです。匂い、はあまりしませんが、それだけで判断を確定させてしまうのはもったいないというもの。現に薄いクラッカー生地とたっぷりのクリームチーズの上に鎮座するスモークサーモンは鮮やかでいかにも食欲をかき立てる色をしています! 頂上の輪切りにされた黒いオリーブもセンスがありますね! この料理はオープンサンドと言って、寒冷なラトラジオーネ領では白いパンの代わりにライ麦のクラッカーを使います。具材は自由ですが、今回のスモークサーモンは定番ですね。家でも簡単に再現ができますので、明日の朝食にでもいかがでしょうか。
さて、また例の旧式車両です。振動が酷いので座布団を買ってきました。昨日までの私ではありませんよ。とりあえず簡易的に淹れた紅茶でも飲みましょうか。ちなみに昼食は車内販売を利用することにします。一体何が出てくるのでしょうね。
「そうですか……」
旧式車両に虚しくも落ちた私の声は、こだまする間もなく列車の駆動音にかき消されました。いや笑いごとじゃないんですよ。またオープンサンドなんですよ。しかもニシン。連続で魚。あなたたちに分かりますか私の落胆が? ニシンに紅茶ってあなた、もう食べ合わせ最悪じゃないですか。淹れたら飲むしかないんですよ。どうしてくれるのですかコレは。
その昼、私は低い太陽がゆっくりと真上に昇り切るまで食事をしていました。
終点、イスハネルダ駅。ここがかの「死望港」です。
「もう来ませんからね」
誰も聞いていない苦情を旧式列車に向けて、私は駅を背にしました。
……雪で滑りました。
棺の運搬車でしょうか。大型の貨物車が少し前を過ぎ去っていきます。タイヤ痕を辿れば死望港に着くのでしょうが、何も私は棺を流す事務的な手続きに興味がある訳ではありません。ですので、左側に見えた小高い丘を目指します。あそこなら死望港全体がよく見えるでしょうから。
いくつもの棺が海に向けてゆっくりと流れていきます。これが白かったら流氷にでも見えたのでしょうね。岸辺に立つ少ない人々は手を合わせ、何か——まあそんなの神以外にいないでしょうが——に祈りを捧げているようです。大方、幻造世界での安らかな暮らしでも願っているのでしょう。そうしてしばらく考えてから、私は近くにいる人影に気付いたのです。
そこに立っていたのは、口数の少ない老人でした。まあ私の方が年上なのですが。彼は何をするでもなく、棺が送り出されていく静かな海を眺めています。私も(恐らく)アトラシオンの慣習に倣い、ただ棺を見送ることにしました。
「……お前さん、いつまで海を見ているんだ?」
先に口を開いたのは老人でした。意外ですね。棺以外に興味がないのでは、と思っていたものですから。
「できるだけ棺を見送るのが慣わしではないのですか? アトラシオンの葬送文化に明るくないものですから、あなたの真似をさせて貰っていたのですが」
「そんなはずないだろうて。……いや、本当にただの外国人か?」
「ただの外国人ですよ。なぜ疑うのです?」
「それだよ」
老人が指差したのは、私が持っている花束でした。ああそういえばジオフェノーで勧められるがままに買って持ち歩いたままでしたっけ。
「いくら外国人といえど、花を手向けることを知らない奴はいない。お前さん、何者だ?」
核心を突く声は、しかし僅かに震えていました。
……バレてしまいましたか。そう恐ろしいものでもないのですが。
「悪意はありませんよ、本当です。私はただ、他の場所を知りたいだけのヤルトーノイ人です」
「ヤルトーノイ……」
小さく呟いてから、老人は肩の力を抜いたように見えました。少なくとも彼の中の警鐘は止まったのでしょう。
「ここまで生きてきても、知らないことが残っているものなんだなあ、お前さんたちヤルトーノイ人には初めて会った」
清々しい瞳。暮れてゆく青空や彼の年齢に、一見似つかわしくないそれは、しかしやけに似合うようにも見えました。
「……まあ、そうでしょうね。私のように『黒い滅亡』から逃げ延びてきたヤルトーノイ人なんて、極めて少ないのですから」
それから私たちは日が暮れて、吐き出す息が真っ白になるまで様々なことを話しました。
例えば老人の友が全員寿命を終えたから、最後の友を見送るために彼が死望港まで来たこと。私の昼食の最悪な食べ合わせ。それから。
「お前さんたちヤルトーノイに、生命の還る場所はあるか?」
「……分かりません。そもそも私たちには死者を弔うという慣わしがないものですから」
死。未だ私にとって遠い言葉です。どこかのトスルークェノと違ってそれに後ろ向きな思いを抱くことはありませんが。
「おお、となるとヤルトーノイ人は不死なのか?」
「いえ、処分されたヤルトーノイ人はいましたよ。処理場に纏めて打ち捨てられるだけだったので、そこが還る場所と言われると、なんとも」
考えてみましたがちょっと、いや大分よろしくないですね。というか嫌です。私も死んだときは棺に花とか優しさとか添えてこの海から幻造世界へ流して欲しいです。ほら彼もぞっとしてるじゃないですか。やっぱり良いものではないですねアレ。……決めました。
「私からも質問していいですか?」
「難しくないといいがな。何せ相手は長生きのヤルトーノイ人だ」
「きっと難しくはない話ですよ。私にもこの花束の使い方を教えてください。棺に入れ損ねてしまったものですから」
そこで初めて、老人は声を上げて笑います。無邪気な若者に帰ったような気さえするほどに。
なるほど、これが葬送ですか。
私はジオフェノーから運んできた、雪化粧をした花束を海へ投げ入れました。オーバーハンドで。
死望港は、今日も変わらず死者を幻造世界へ送り出し。
また新しい弔花が遠い海へ広がってゆくのでしょう。
*
かなり昔の原稿だな、ツァグに掘り起こされた気分はどうだ。 トスルークェノ
余計なことを書くものではありません。 キゾシュイェグツウィ
余計なこと? お前のご当地グルメレポートか疑うような原稿のことか? トスルークェノ