目から鱗

「それではキゾシュイェグツウィ先生、料理人が腕によりをかけた品々をお楽しみください」
 ……ああ、どうしてこのようなことになってしまったのでしょうね。本当にどうしてでしたっけ。

 そうでした、私の目の前に黒塗りの高級車が停まったのでしたね。

 あれは念願のワイマルト来訪のため、私がミネトヤ本店で「ワイルドベリーミックス」のジャムをロット買いした後のことでした。まあ購入までにも紆余曲折ありましたし、他のフレーバーももちろん買っていますが。
 そうして私が両手に花ならぬ両手にジャム、まあ原材料まで遡れば花ですが。ともかくそのような状態でミネトヤの本店を出ると正面に黒塗りの高級車が鎮座していた訳です。しかもひとりでに扉が開き、運転席からはサングラスを掛けた筋骨隆々といった出で立ちをしたスーツ姿の男性が出てくる始末。「どうぞこちらへ」と言われてノコノコ着いて行くような私ではありません。決してそうではないのですが、「さあ」と凄まれて物凄い力で後部座席に押し込まれました。拉致では?
 そして発進した黒塗りの高級車は右ハンドルを切りあれよあれよとこの料亭に辿り着いたのです。

「キゾシュイェグツウィ先生? どうかなさいましたか?」
 どうかしているのはこの料亭ではないかと私思うのですがね。
「いえ、少し考えごとをしていただけです。ところであなたがたは、なぜ私の正体を知っているのですか?」
「まさかお気付きでなかったのですか? ミネトヤでキゾシュイェグツウィ先生が『ワイルドベリーミックス』を箱で購入されるために振るわれた弁舌、あれが『編纂者』のものでないとしたら、一体誰のものであるというのでしょうか?」
「あ」
 そういえばそんなこともありました。まあいいです、長生きしてたらそういう日だってあるでしょう。
 回顧の後で襖が料理の端正な匂いと共に開きました。そっちがわざわざもてなしてくださるというのなら、ありがたく受け取るとしましょう。

「お待たせしました、まずは汲み上げ湯葉になります。出汁醤油でお召し上がりください」
 窓の外の紅と対極に位置する、若竹のような色をした煎茶を味わっていると、料亭の管理人の声を合図とするように配膳を担当する職員が現れ、一礼をしました。
「ユ……ユバ? どう書くのですか。由来は?」
 というか味に見当が付かないのですがこの料理。小鉢の中にそっと腰掛けるように盛り付けられている辺りを見るに、品が良いことは確かです。
「お湯の湯に葉っぱの葉で湯葉です、キゾシュイェグツウィ先生。通説が複数ありまして、由来ははっきりとしませんが。お箸で掬ってから隣の出汁醤油につけてお召し上がりください」
 なるほど? これで書き方と食べ方は分かりました。
 そこまで説明した後で、料亭の管理人はほんの少しだけ、顔色を変えました。何かあったのでしょうか?
「先生、ついぞ思い浮かばず申し訳ありません。今からでも他の食器をご用意いたしましょうか?」
 おや、引っかかっていたのはそこでしたか。
「問題ありませんよ。出身こそワイマルトやチャンソンではありませんが、これでも私、箸の扱いには自信があるのです。」
 あえて大仰に宣言すると、管理人も配膳に携わる職員も表情をほんの少しだけ安堵混じりのものに変えました。恐らく冷静に職務を遂行しようという美意識が全体に行き届いているのでしょう。ワイマルトらしさのある、慎ましい価値観ですね。
 それなら、この料亭が手掛ける料理が美味しくないはずがありません! そういうことですので、まずはここから。
「頂きます」

 これは確かに、ワイマルト国民とチャンソンからの旅行客以外、苦労しそうですね。湯葉は滑らかでどこか薄く、やや滑りやすい掴み心地です。出汁醤油のほんのりとした匂いと大きく取られた窓から穏やかに流れ込む秋風が、落ち着いた空気を部屋に作り出します。
 そしていよいよ最初の一口。少しだけ冷ややかな湯葉は、絶妙な薄味の出汁醤油とよく合います。料亭の管理人曰く、山葵醤油で提供することもあるのだとか。実際に食べて気付いたことですが、大豆のまろやかさがあるので豆腐の仲間に近そうです。今度の来訪では山葵醤油でも味わってみたいものですねえ。というかどこですかここは。目を向けましたが、職員たちは黙々と仕事を遂行することに集中しています。あの、ちょっと。誰か私に答えを教えてはくれないのですか?

「お次はこちらをどうぞ」
「まるでワイマルトの秋ですねえ、上品で彩り豊かです」
「ありがとうございます、キゾシュイェグツウィ先生から頂く料理への賛辞は、ウェイストプロージ中の料理店が憧れるものです」
 そうですかそうですか、私も鼻が高いです。
 さて、料理が繊細に盛り付けられた皿に戻りましょうか。
 柿。
 ワイマルトの秋の象徴であるオレンジ色。果物の一種ですが、もうお出ましなのですね? 上の方で切られているので、これは蓋の代わりでしょうか。外してみると、二種のオレンジと白の細切りが柿の器から顔を覗かせます。
「ご覧になりますか」
 料亭の管理人から渡されたのは本日の献立。流石ですね。お楽しみ感は少し薄れてしまうかもしれませんが、これで目の前の料理がはっきりと名前の輪郭を持ちます。
『柿なます』
 ああなるほど、おめでたい料理ですね。そこに秋らしく柿が加わっている、と。口に含むと、さっぱりとした酢が柿と人参が織りなす複雑な甘味をまろやかにしてくれていることが分かります。

 お次は……菊の花ですね。黄色と白は知っていますが、今回目の前にあるのは黄色と紫。さつまいもを思い出します。それとエディブルフラワー。菊も食べられるのですね。
 そしてまたお会いしましたね、出汁醤油。あなたの実力はよく知っています、今回も頼みますよ。
 柔らかな、しかしどこか噛みごたえのある花びら、と思いきや秋花の芳香。そして残り香のような苦味。実に繊細で、すぐなくなってしまうのが惜しまれます。

 お次は、そう。献立の書かれた上質な紙がありますね。
『里芋の衣かつぎ』
 なるほど? 温かそうですが皮が付いたままです。
「先生、火傷に気を付けながら、指で皮を押すと皮が取れた里芋が出てきます」
「ありがとうございます」
 助言に従って指で押すと、料亭の管理人の言う通りに白い中身が顔を覗かせます。
「お塩を付けてお召し上がりください」
 随分とシンプルですね? アドバイス通りに塩を付けてみるとしましょう。……里芋自体に濃い味でもついているのかと思っていましたが、私の勘違いでした。芋を一段越えたしつこ過ぎない粘りのある食感に、塩がよく合います!
「キゾシュイェグツウィ先生は、里芋の煮付けもお好きでしょうね……」
 ちょっと、料亭の管理人は何を小声で私にダイレクトマーケティングをしているのですか。普通に気になるのですがその料理。小声ってことは今日出てこないのですよねそれ?

 鮮やかな紫と添えられた茶色は『茄子田楽』。味噌、初めてなんですよねえ。ですが既に濃く、良い匂いがします。
 これは!
 良質な油をたっぷり吸った茄子をしっかり包む濃い甘味と旨み! 白いご飯はまだでしょうか? 料亭の管理人を見ると、口角の片側を数ミリくらい上げながら肩を震わせています。急いで献立を見ると後半に『秋の炊き込みご飯』の文字……。
 料亭の管理人! 私を嵌めましたね! なぜ無言なのです!

 そんな中で差し出された次のメニュー……と呼んでいいのでしょうかこれは。
「急須……ですか?」
「土瓶蒸しになります」
 ああ、あのワイマルトの一部でしか味わえない料理ですか! てっきりお茶の二種類目が出てきたのかと。
 そうですねえ、まずは蓋を開けてみましょうか。横から感じる料亭の管理人の感心したような雰囲気、教わるばかりの私ではないのですよ。急須改め土瓶に閉じ込められていた素材の香りが何とも食欲を品よく指でつついてきます。中にはどれどれ……高級食材、松茸に謎の形をした……これもキノコの一種ですかね? それと明るい月の色をした銀杏、どこかツンと澄ました香りの三つ葉、底には白身魚も見えますね。隣のお猪口に出汁を注げば、更に香りが広がります。
 出汁文化、こうして味わうと良いものですねえ。舌鼓を打ちながら、思わず頷いてしまいます。
 ふと気がつけば目が合った料亭の管理人も頷いています。ちょっとあなた、最初と距離感変わってませんか?
 ……まあいいでしょう。私にはこの土瓶蒸しの具材を味わうという一大ミッションが残されているのですから。
 良い匂いを放ち、出汁を良く吸ったキノコたちは面白い食感をしています。何より噛んだ瞬間にじゅわりと溢れる出汁! 普段もっと濃い味付けのものを選ぶ私ですが、ここの料理も負けてはいません! 銀杏は口の中で少しの弾力と共に崩れて余韻を残しながら、私を楽しませてくれます。そして白身魚、これは上に三つ葉を載せて頂きましょう。癖のない身が素直に出汁の味を受け取って、三つ葉がそこに味の輪郭を加えていきます。いくらでも頂けてしまいそうです!

「こちら、お造りになります」
 次にお出ましになったのは、華やかに盛り付けられた赤や白の鮮やかな……肉にしては「霜」が降っていませんね? これは何でしょうか? 料亭の管理人を見ると、彼はニヤリとしました。だから何なのですこの料理の素材は。早く私に教えてください。あとここの住所とかも。
「生のお魚ですよ」
「え」
 生? 魚ですよ? アリなのですか?
「どうぞ山葵醤油でお召し上がりください。辛いので量には気をつけてくださいね」
 嘘でしょう!
 すんでのところで口にすることを抑えた叫びですが、私の心境は変わりません。え、だって先程は火を通していたじゃないですかあなたたち。これはいったい全体どういうことなのですか。というか湯葉でなくこちらに山葵醤油は雇われていたのですね、いえそれどころではなく。というか本当に食べられるのですか? この魚は。料亭の管理人……は、笑顔です。めちゃくちゃいい笑顔してます。イイ性格してますよねあなた。そんなことを言っている場合ではなくて。
「こちらの白い食材は」
「帆立ですね、貝です」
 貝です? 貝も生! どうなっているのですワイマルトは!
 ま、まあ見た目が一番パンチの弱い、いえ穏やかそうな白身魚から食べてみましょうか。小皿に醤油を垂らし、箸先で添えられた山葵を溶いていきます。そういえば山葵も初めてですね、魚のインパクトで忘れていました。
「ヒラメになります」
 あの水族館の平たいアイツですか? 鑑賞用ではなく? ……本当に大丈夫なのでしょうか。いや、思い出すのです。今まで提供されてきた料理に微妙なものなど何一つとしてなかった、つまりはそういうことなのでしょう?
 それなら私はこの魚、食してみせましょう!
「あ、美味しいですねえ」
 淡白で引き締まった白身には、雑味も臭みもなく、上質な山葵醤油がよく合います。春の萌黄色をした山葵も、ツンと辛いのですが奥には仄かな甘みが。これは、ちょっと。箸が止まりませんし。それに。
 白米、食べたかったですねえ……。

「この赤い身は何のお魚でしょうか」
「マグロになります」
 また水族館の速いアイツではないですか! ワイマルトでは夜な夜な水族館から食材を調達でもしているのですか? ただでさえ不可思議な国なのに、ここに来て謎が増え過ぎです。なぜこの国の食べ物は美味しいものばかりなのか、判明するまで帰りたくなくなるではないですか!
 速いアイツは平たいアイツより濃厚な味をしています。これが、生魚……! 濃い醤油と辛い山葵との相性はこの上ないものです! 噛みしめるほどに旨味が口の中を独占していきます!

「あっ辛いです」
「キゾシュイェグツウィ先生、帆立に山葵を増やすなんて……」
 いや増やしたらもっと美味しいかなと思ったのですよ私。料亭の管理人の反応を見るに、帆立は少なめの山葵で頂くのが正解だったようです。やってしまいました。煎茶が残っていてよかったです。死ぬかと思いましたよ、死にかけることなどそうそうないのですが。
 ともかく、帆立にだけ汚名を着せたままにする訳にはいきません。私のプライドにかけて、残りの帆立を最高の状態で頂きます。
 甘い! しょっぱい醤油と辛い山葵に引けを取らない甘み! なんということでしょうか! 小気味良い食感もよいものですね!
 あなたがた、特にワイマルト辺りがこの紙面の向こう側で指差して私のことを笑っていたとしても許せる美味しさです!

「塩竈焼きではないですか!」
「ご存知でしたか」
 ここで献立を確認します。中身は……めでたいですねえ。早速この塩の砦を割ることにしましょう。
 顔を覗かせたのは美しく優しいオレンジ色の魚——そう、鯛です。お目に掛かる機会など、滅多にありません。箸先で簡単に解れながらも、食べやすい形を残しながらほんのりとした旨味を抱いた脂を載せた身、それを塩が引き立ててくれています。

「この匂い……味噌!」
「お分かりでしたか」
『牛肉の朴葉味噌焼き』、牛肉に、味噌! どう転んでも最高ではないですか! なぜ、なぜ白米にしなかったのですか料亭の管理人! 恨みますよ!
 鉄板の上には大きな朴葉。その上にキノコたちと、牛肉! そして味噌!
 味噌を絡めた食材は濃い味と満足感を私に与えてくれます! 思わず煎茶を飲み干してしまいました。普段アルコールは嗜まないのですが、それに見立てた、ということで。
「お代わりとか」
「先生、残念ながら……」

「こちらは舞茸の天ぷらです」
「先程も見かけましたが、マイ……タケ? というのは? 揚げ物であることは分かるのですが」
「ワイマルト原産の特殊なキノコです」
 毒では?
 私ワイマルト国家に命狙われるようなことしましたっけ? まさか「ワイルドベリーミックス」をめちゃくちゃ買って目を付けられたとか?
 肩が震えていない料亭の管理人を見るに、どうやら毒ではなさそうです。ならば頂くしかありませんね。
 かなり大きい天ぷらを箸で掴むと、衣が軽やかな音を立てます。みなさんは私と違って歳を重ねるとこういったものを思う存分食べられなくなるのですから、頂く機会があったら決して逃してはいけませんよ。
 塩につけた天ぷらを一口食べると、衣をサクリと割りながら、舞茸のふわりとした、しかしどこか芯のある香りが口の中を満たします。そしてこの食感! 里芋ほどの粘りはないのですが、どこか芋を彷彿とさせるホクホクとした歯触り! これは意外な発見です。毒とか思ってすみませんでした。みなさん、毒ではありません。美味しいです。

 さて来ましたね、「秋の炊き込みご飯」。あなたにどれほど私が苦しめられたことか。なぜ白米ではないのですか! 美味しくなかったら分かっているのでしょうね!
「あっ良い匂いですね」
 釜の蓋が閉じ込めていた匂いが一気に私を虜にします。中に広がるのは箱庭に閉じ込めたような秋ではありませんか。ほんのり実りの薄茶に染まる米、紅葉型にくり抜かれた人参と青ネギが散り、鶏肉とキノコたちがボリュームを増やしています。
 もうここに残るのは旨味だけ! お代わりだってできてしまいますよ!
「美味しそうに召し上がってくださって何よりですよ……」
 りょ、料亭の管理人! まさか私が白米から寝返ったのを見抜いている……?
 ま、まあ? 美味しいものに罪はありませんし? 美味しく頂くのが筋というものでしょう? ねえみなさん?

 流石の私も緊張と興奮を抑え切れません。最後のデザートですよ? 献立からは「栗」の文字が見えましたが、一体何が待ち受けているというのでしょうか。お茶だって煎茶から濃い抹茶に変わりました。さあ、いつでもかかってきなさい!
「和栗の栗きんとんでございます」
 大きな、栗。
 栗ですねえ。ビジュアルは完全に栗です。
「ささ、どうぞ召し上がってください」
 どうやらこの栗、このまま食べられるようです。勧められるままに、私は黒文字—和菓子用の菓子切り——を手に取り、真ん中を縦一文字に切りました。途中に手応え。
 何と中には大きな栗が入っているではないですか! 一口食べると、甘露で甘みを帯びた栗と周りの滑らかなきんとんの何と相性の良いこと! 濃い抹茶が重みを打ち消してくれます! ああ、減っていくのがもったいない、あまりにも惜しいです……!
 それでも終わりはやって来るもので、満足感と一抹の寂しさを以て食事の時間は過ぎ去っていきました。食事の初めよりどこかがらりとした部屋に流れる秋風は、少しだけ冷たく。

「いかがでしたか、キゾシュイェグツウィ先生」
 料亭の管理人はどこか爽やかに笑います。それはまさしく一仕事終えた、職人の笑顔でした。
 ならば、ここで語るべき言葉はただ一つですね。
「ご馳走様でした」

     *

 待て、お前があの壊滅的な運転で黒塗りの高級車に追突して目から鱗が出るほどの請求書が出てくる話じゃないのか? トスルークェノ

 そんなはずないでしょう、端末で調べ物のし過ぎです。 キゾシュイェグツウィ

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